July 24, 2011

ムスリムの人たち。

またラマダンの季節が近づいてきました。正式には地域のイマームが月を見て決めるので数日のズレが起きることもあるんですが、今年は8月1日からの予定です。日の出から日没までは飲食しないことになっているので、夏のラマダンは辛そうですね。

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「ムスリム(イスラム教の人)は、」と言っても、原理主義の人もいれば「ビールはスピリッツじゃない」と言って飲んでる甘々の世俗主義の人もいるし、シーア派もいればスンニ派もいて、スーフィーもいるので、一言で括ることはできません。それに他人の信条のことをとやかく言うのは礼儀正しいことではないとも思うんですけど、中東にしばらく住んだこともあってアラブ人、ムスリムとのおつきあいが普通に日本に住んでる日本人よりは多かったと思うので、私の個人的な印象ですけど、ムスリムのものの考え方で気付いたことをちょっとだけ。

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ラマダンにしてもそうなんですけど、イスラム教にはいろいろと掟があるのはご存知だと思います。六信・五行といって、具体的にその内容が定められています。六信には「アッラーを信じること」とか「来世の存在を信じること」とかが入っているし、五行には、「信仰告白」「礼拝」「喜捨」「断食」「巡礼」が決められています。その他にも、アルコールを飲まないとか、豚を食べないとか、豚以外の家畜も教えに則った方法でさばいたものでないといけないとか(「ハラール」ですよ)そういうのもある。

一日5回のお祈りとか傍目にはやっかいだなぁとか思うし、食べ物の忌避もめんどくさそうだし、イスラム教は戒律の厳しい宗教のように見えます。

ところが、ここからが面白いなと思うんですけど、これ、逆に言えば、無意識的なのだろうと思いますけど「この戒律さえ守っていれば問題ない」ということになっちゃうんです。もっとあからさまに言ってしまえば、人生の正解が既に提示されている。コーランで正しい人生を送るための作法が提示されていて、それさえ守っていればOK、という思考回路になっちゃってる人が多いんです。

だから、できるだけ働かず楽して金を儲けすることを考え、贅沢三昧することにもなんの躊躇も戸惑いもない。なぜなら、イスラムの教えは守っているから。正しい人生を送っているから。よく生きるとはどういうことかと深く悩んだりしない。よく生きるとは、コーランの教えに忠実に生きることだから。そう考えると、湾岸諸国の金持ちアラブ人の鼻持ちならない態度もなんとなく理解できる。金にあかせてやりたい放題でも、イスラム教の戒律は厳密に守っているんだろうと思いますよ。

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どの宗教にも多かれ少なかれ「人生に解を与える」側面があります。つまるところ、人が生まれ死んでいくという究極の理不尽に対して、なんらかの指針を与え、心の平安を与えようとするのが宗教の役割だったりしますので。そして、イスラム教はその機能がものすごく明快な宗教だなぁと思うのです。

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というのは、イスラム教のひとつの側面であって、みんながみんなそうではありません。でも、こういう思考回路の人がそれなりにたくさんいたし、またちょっとうらやましくも感じましたよ。現世利益をフルに使って人生を可能な限り楽しむということに長けている人たち。なんやかんやとウジウジ悩んで、年に3万人以上も自殺してしまう国の人から見ると、その割り切りの良さを見習うべきところもあるなと思ったりもして。

しかしまあ、私はムスリムにはなれそうにはないんですけどね。

2 コメント:

ukyou said...

Kenさん

投稿を大変興味深く読ませていただきました。
私もムスリムとしての人生をよく振り返ることができました。
Kenさんが指摘くださったところに真はたくさんあります。

ただ、Kenさんが見ていたムスリムの日常生活はどれほど正しいムスリムの生活に近いのがすこし疑問に思います。私が思うには、ムスリムの生きるべき人生は「表面に見えるイスラムの教えや掟(5回のお祈り、断食など)に従って、それだけで天国にいけるから、今生きるこの世のの生き方はどうでもいい!」ではなく、「この世をどのようによりよくする、人類全てのみんなに自分が生きることで何かプラスを与えるを考える生き方をつうじて天国にいけることを目指す」こそがイスラムの基本なんです。もちろんそれは理想であり、現実ではないのは非常に残念です。

コーランに書かれたのは「And I did not create the jinn and mankind except to worship Me.」つまり、イスラムの唯一である神、アッラーはこの一文で人間を造った理由を明確に教えてくださいました。

でも、イスラムのWorshipの概念は目に見える掟(お祈り、断食、コーランを読んで理解するなど)だけではなく、人生全てに適用しないといけないと思います。

仕事を一生懸命するのは重要なWorshipだし、人間関係を大事にし、相手を尊敬して、思いやりをもつのはWorshipですし、こどもを守ったり、妻を愛したりするのもWorshipです。Gymで運動をして、体のこと大事にするのもWorship、リラックスしてレジャーをちゃんと楽しみのもWorshipです。路上のごみを拾ってゴミ箱に捨てるのもWorshipですし。友達と楽しい一時を過ごすのもWorshipです。動物にえさをやったりもWorshipです。
生きる全てがWorshipになれます。

宗教を通じて心の良い、性格のいい人、このような性格がそもそもあった人には、この性格の良いところをさらに磨くことになり、今までそれを大事にしなかった人には、「これはイスラムの教えからそうならないといけない」といういいモチベーションになるのは宗教としてのイスラムの重要な役割です。つまり宗教はライフスタイルに近いような概念です。

Kenさんの言葉を借りて:
「だから、できるだけ働かず楽して金もうけすることを考え、ぜい沢三昧することにもなんの躊躇(ちゅうちょ)も戸惑いもない。なぜなら、イスラムの教えは守っているから。正しい人生を送っているから。よく生きるとはどういうことかと深く悩んだりしない。よく生きるとは、コーランの教えに忠実に生きることだから。そう考えると、湾岸諸国の金持ちアラブ人の鼻持ちならない態度もなんとなく理解できる。金にあかせてやりたい放題でも、イスラム教の戒律は厳密に守っているんだろうと思いますよ。」

これは読んだとき、私が思うイスラムと大きく異なっている話だと感じました。
よく生きる(つまりこの世、他人の人生になにかプラスを与えること)を気にしないで、自分の生き方にたいしてなにか振り返りがないことはイスラムから明らかに外れた考え方であると思います。人生を楽しむことは別に悪いことはないですが、過剰に贅沢を生きるのはイスラムではあまり良くないですし、過剰なプライドをもって人を見下す態度はイスラムとものすごく反しているので、このような態度を持っている人は「忠実にイスラムやコーランの教えに従って生きている」のはそもそも大きな疑問です。

私たちが生きる人生はただの短い試練であり、それをたくましく、紳士に乗り越える「道」を選ぶのは重要であります。残念な話しですが、真のイスラムはアラブの国ではあまり見えないことになってしまいました。私が日本に行ったら、本当のイスラムの教えに従っているムスリムではない方にたくさんお会いしました。日本人の相手に対する思いやりはまさに真のイスラムにちかいと感じます。

でもKenさんのお言葉を読んで、非常に納得しているのは、イスラムは人間の人生を生きるというコンセプトに大きな意味を与えています。「人が生まれ死んでいくという究極の理不尽に対して、なんらかの指針を与え、心の平安を与えようとする」という気持ちは自分の中に著しく存在します。アッラーが見守って、どんな苦痛、苦労、不安、があっても、それを乗り越えると次の世では楽に必ずなることを信じることで、勇気やモチベーション、希望をたくさんもらいます。ですから自殺するムスリムは極端にすくないです。

ムスリムとしては最低限の努力を尽くして、生きることはぜったいしたくないです。
もちろんわざと苦労を探すことはしないですが、苦労やチャレンジがあったら、たくましく乗り越えるような態度でいきたいです。出来るかどうかはわかりませんが、頑張っていくのは私の決心です。それが私が思うイスラムの戒律を守っていることです。

Anonymous said...

私もukyouさんのコメントに賛成します。同じムスリムとして。